流され者

我が人生、流され、流され、流されて、一体どこまで流されるのやら。

短冊に込められた純真


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私の願い

 

今日は七夕ですね。近所のスーパーの隅っこに笹が飾ってあって、そこに短冊もつるされていました。

 

どうやらお客さんが自由に書いて良いようだったので、私もさっそくお願い事を考えました。

 

「お菓子がたくさん食べられますように。」「お金持ちになれますように。」「私だけの素敵イケメン彦星様が早く見つかりますように。」

 

ぶつぶつと願い事をつぶやきながら、どれを書こうか・・・いっそのこと全部書いちゃう!?とウキウキする私を冷ややかに見る母。

 

恥ずかしいからやめなさい!という言葉とともに、お願い事は欲張って何個も書くものじゃありません!と言い出しました。

 

五色の短冊

 

意義あり!歌にも「五色の短冊 私が書いた」とあるではありませんか!あれは最低でも5個はお願い事を書いても良いという意味ですよ!(←個人の見解)

 

それなのに、たったの3個しか書かない私は殊勝だとは思いませんか?思うでしょう!!そうでしょう!!

 

母に反論の余地を与えないように捲し立てていた時です。ふと他の方が書いた短冊が目に入りました。

 

たまたまですよ!たまたま!!たまたま見えたのです!!決してジロジロと興味深げに人様のお願い事をチェックしたわけでは・・・。決して!!

 

必死に言えば言うほど怪しくなってしまいますが、それはさておき、見かけた短冊は小さなお子さんが書かれたようでした。

 

汚れなき心

 

全部ひらがなで、一生懸命書いたであろう短冊には「おりひめさまとひこぼしさまがちゃんとあえますように」という文字が綴られていました。

 

Σ( ̄口 ̄)!!

 

自分の欲望を剥き出しにして、図々しく何個も願い事を書こうとする汚れきった心を持った大人には、あまりにも眩しすぎる純真!!

 

私もかつてはそんな清らかな心を持っていただろうか。いや、ない。

 

私は子供のころから食い意地がはっていたので、きっと今と同じようにお菓子をたくさん食べられますようにとか書いていたはずです。

 

しかも、子供の頃は織姫のことを乙姫と間違っていましたし、なぜか天の川に大きな桃がどんぶらこと流れていくのを想像している散らかった思考回路の持ち主でした。

 

・・・「でした」と過去形にしていますが、実際には現在進行形ですけど。

 

反省する大人

 

あまりの眩しさに衝撃を受け、自分の強欲さを反省した私は、お願い事を1つに絞ることにしました。

 

『お金持ちでイケメンでお菓子をたくさん買ってくれる私だけの素敵彦星様が早く現れて、「ボクが掃除も洗濯もお料理も全部するからキミはそばにいてくれるだけで良い。」と言ってくれますように。』

 

最初に言った3つのお願いに、さらなるオプションをつけて強引に1つにまとめただけの図々しいにも程があると言いたくなるようなお願いを短冊に書こうとする私。

 

そしてそれを阻止するべく私から短冊を没収する母との熱き攻防が続く中、母の彦星たる父はず~っと待たされっぱなしになるのでした。

 

すべてが曇る

 

こんな私には何が何でも天の川を見せたくないという織姫様と彦星様の想いがあるのか、今年も空は曇りになりそうな予感。

 

きっと私の欲深さに、せっかくの2人の逢瀬時の笑顔も曇らせていることでしょうね。

 

そしてそんな2人の笑顔よりも曇った心を持っている残念大人の今年の七夕のお願いは「来年はお願い事を1つにしぼれますように。」というところでしょうか。